明日は敬老の日です。日本では80歳以上の方が10%を超えたようです。私の母もその一人。先週88歳の米寿を迎えました。お祝いも何もいらないという母ですが気持ちばかりの色紙をプレゼンんト
恥ずかしそうに「飾っておくね」と言ってくれました。
80代後半で介護認定もうけず、なんとか家事もこなしている母はすごいなとも思います。が本人は会う度に「生きているのも辛い」とこぼします。遠出はしなくても近場を気ままに出かけることが好きだった母にとって歩くことが困難な今はなかなか辛いらしい。新しいものには一切手を出さない母は携帯を渡してもほぼ使ってくれず、何年か前に諦めて契約を解除した。パソコンもタブレットも、もちろん?使わない。耳がかなり遠いので子供としてはメールやLINEでも使ってくれればとても安心するのだが、日々の情報は新聞とテレビだけで十分。出かけることも少なくなった「もしどこかで急に倒れたりしてもここまで生きたし無理に延命もしてほしくないといつも言う。父が亡くなったのはもう13年前。その頃叔母に言われたことがある「みんな歳とるのよ。覚悟しないとね」と・・・そう私に言った叔母は2,3年前から認知症になり、今では自力で生活することが難しくなり従妹が面倒みているようだ。叔母と仲のよかった母はコロナ渦で会えないだけと思っていたのにそのまま叔母との交流もなくなり寂しそうだ。年齢を重ねても新しいことを始めたり、新しい出会いもあったりするので何かやれば?などとついつい言ってしまったりするがそれは人それぞれ。チャレンジすることが美徳と思われがちだが老いていく自分と自然に付き合い。特に新しいことに手をださないのもその人の人生だからいいのかもしれない。
さて人も老いるがその住んでいる家も古くなる。この連休で実家に帰ってきたのだが、隣の家は屋根のメンテナンスをするとのことで足場が架けられていた。そして私が帰宅すると工事担当者がすぐにやってきて「隣の工事をするのでご迷惑おかけします。ところで上からみたらお宅の屋根瓦が一部ずれています。危ないし、雨漏りもするのですぐに直したほうがいいですよ」「はい伝えておきますね」と言って」玄関閉めるとまた少ししたらまたその人が来て「もし馴染みの業者さんとかいなかったら連絡とりますよ」と・・・最初からこれが言いたかったのか・・・母に伝えると、実は数日前から何回も来ていたらしいが耳の悪い母は何をいっているかよくわからずに「はいはいうちはいいですよ」とだけ言ってその都度終わっていたらしい。母とは上手く会話が嚙み合わないと知ったその業者の人は私が帰宅したのを見てすぐに訪問したようだ。しかも母は隣の住人からも何回か屋根の件で指摘をうけていたようだが、もう古い家だし特に直さないと言っていたようだ。あせっかい?とは思っても屋根瓦が落ちたりしたら大変である。人だけでなく家も老いる。メンテナンスしていくのは気力も体力もそしてお金も必要である。人生100年時代。なんの心配もなく長生きできるならいいのですが・・・敬老の日を前に明るくない話題ですみません・・・今週の殿は外泊できずにふてくされていましたがしっかりと自分で洗濯をしていました。