介笑スマイル!「笑顔は介護の力になる」

脳出血のため中途障害者となった夫と介護する妻の今までとこれから

母の旅立ちと、いつもの日常

母が生まれ育った伊勢原にある大山の稜線



先日、母が90歳で亡くなりました。
まさに「大往生」といえるでしょう。先年末あたりからは体が思うように動かなくなり、「早く死にたい」とよく口にしていました。そんな姿を見てきたので、いざその時を迎えても、涙は出ませんでした。
それよりも、「お母さん、よく頑張ったね」「お疲れさま」と声をかけたい気持ちの方が強かったのです。

葬儀は家族だけの一日葬。
旦那を数日ショートステイに預けようと思ったのですが、どこも空きがなく、日帰りで何度も実家を往復する形になりました。短い距離なのに、気持ちの上ではずいぶん長い道のりでした。
それでも、留守番中の旦那がいつも通りに過ごせていたことが、私の中では大きな安心でした。慣れないことが続く中で、普段通りの生活があることが、どれほど心の支えになったか分かりません。

同居していた弟は、世間知らずというか、のんびり屋というか…。
今後の手続きや実家のことなど、課題は山ほど残っています。
そんな状況の中でも、涙はやはり出ませんでした。冷たい娘だと思われるかもしれませんが、私の中では「悲しみ」より「安心」が勝っていたのだと思います。
母がようやく楽になった――そう感じるからです。

これで父も母もいなくなり、とうとう「両親がいない」という現実を迎えました。
書類の整理、手続き、遺品の片づけ。やることはまだまだ山積みです。
けれど、すべてが落ち着いたとき、ようやくほっとして、涙が出るかもしれません。

母が亡くなったことで、私自身の中に「次の世代へバトンを渡されたような感覚」があります。
介護を通して、命の終わりを間近で見てきたこの数年。
そして今、自分が「見送る側」になり、改めて“生きる”ということを考えています。
母が残してくれた時間と想いを、これからの自分の生き方に少しずつ重ねていけたらと思います。

お母さん、本当にお疲れさま。
そして、ありがとう。