介笑スマイル!「笑顔は介護の力になる」

脳出血のため中途障害者となった夫と介護する妻の今までとこれから

30年ぶりに幼馴染と会う

寒さで枯れたと思っていたスナップエンドウですが花が咲きました

年賀状でよく書く一言の「今年こそ会いたいね」毎年書きながらなかなか会えない。

旦那のように病気になって外出するのが難しくなったりすることだってある。最近では亡くなってしまった友達もいる。人生っていつなにがあるかわからないんだなあーとつくづく感じるようになりました。小中学校の友達とはあまり連絡をとっていないのですが唯一ずっと年賀状でのやりとりが続いている幼馴染がいます。共に小学校の低学年で転校生としてきて名前まで同じということで中学校まではとても仲良くしていました。高校は違ってその後お互いの実家も引っ越しをしてしまったため、まともにあったのは彼女の結婚式の時が最後。その後私は県外に引っ越しをして波乱万丈?の人生を歩み始めたためなかなか会うことも難しくなっていました。でも私が再婚した時もすぐにお祝いのカードをくれたりしていつか会える日を楽しみに・・・なんてやりとりしていました。今年の年賀状にも「幼馴染の〇〇ちゃんと会いたい」と書いてあり。そうだ!会おうと電話番号を書いたハガキを送りました。その後ショートメールが届き再開の約束をしました。

再開の当日、さすがに久しぶり過ぎてわかるかな?と思いましたが案外わかるもんですね。ランチをした後に彼女が車で二人の住んでいた場所や、小学校、中学校を回ってくれました。住んでいた場所は新しい家が多く当時とはだいぶ変わっていました。あの頃は近くの空き地でよくボール遊びをしていましたが空き地のような場所は何もありませんでした。はたしてあの空き地?は誰の土地だったのか?今では考えられないけど空き地で遊ぶのが当たり前でした。

懐かしい小学校や中学校は外観は当時の面影のままでした。小学校は当時できたばかりで私たちは第2回目の卒業生でした。外観は変わらないものの校庭の脇にあるものを見てびっくり「祝、開校50周年」昨年に開校50周年を迎えていました。当時、児童会の会長、副会長をやったこともある私たち(笑)できることなら中まで入りたかった。

懐かしい話しからお互いの介護生活の話しまで本当にあっという間でした。

次回また会おうと約束してお別れしました。1枚のはがきを出してから1か月ちょっとの出来事でした。