介笑スマイル!「笑顔は介護の力になる」

脳出血のため中途障害者となった夫と介護する妻の今までとこれから

義務感は愛なのか?・・・そして甘いものがやめられない

主人は今、週2日のデイケア、デイサービス

それ以外の日は訪問看護とヘルパーさんが自宅に来ています。

デイケア、デイサービスに行く日は

朝、私が出勤する6時半ごろまでに

着替え、装具の装着は済ませておき、

朝食はすぐ食べれるようにセッティングしておきます。

もともと、几帳面な主人は

食べ終わった食器をきちんと

シンクの水をいれたボールにいれておいてくれます。

 

几帳面な主人はホワイトボードに今日の予定を書いておけば

その内容を把握して出発前までにひげをそったり

してきちんと自分で支度しているようです。

但し、わたしが出かけてからサービスのお迎えがくるまでに

かなり時間があくため2度寝しているようなので

寝過ごすことが心配なため出発30分前に目覚ましかけてますが・・・

 

朝は主人と過ごす時間は起こして着替え手伝っての

わずか15分程度。

その後わたしは仕事にでてしまいます。

 

主人に罪はないけど

仕事してて良かった。

と思ってしまいます。

 

お姑さんの介護をしていた友人から

「まだ新婚のご主人の介護だから愛があるよね」

と言われたことがありました。

 

でも本当にそうなのか?

正直自分でも自信がもてませんでした。

 

介護に愛は必要だけど

好きでいっしょになった旦那の介護も

愛情より義務

が上回っているかもしれない。

もちろん

そこに愛はあるけど(何かのコマーシャル?)

「私が面倒みなくてはいけない」

という義務感が強い。

 

その義務感は愛情なのだろうか?

時にその義務感は強いプレッシャーになったり

どうして私だけと、悲壮感を感じたり

どうしてわかってくれないのと、怒りになったり

怖く、寂しいものを感じたりする。

でもやめることはできない。

もし、主人が

もうリハビリなんてしたくない、

ただ、のんびりと周りに面倒みてくれる人だけ

いればいいと訴えれば

介護施設にいれてもいいと思っている。

 

でも今は自宅にいたいと言っているし

温泉にも行きたいと言っている。

主人の具合を気にして連絡してくれる

友人もいっぱいいる。

主人が自宅でのんびりと生活する

それをサポートするのが

私の義務だと思っている。

 

でも義務ということばは重い。

上手くいかなかったときに

いらだち、そして涙がでてくる。

 

主人は自分でトイレもいけるし

ご飯も食べれる。

私がしている介護なんて

朝晩と休日だけだし

たいしたことなのかもしれない。

それでも

毎日、その義務感と戦っている感じがする。

 

仕事から帰り、主人がサービから戻ってくる

わずかな時間は貴重なのんびりタイムである。

 

今日は職場近くの道路が大渋滞で

私の帰宅時間と主人の帰ってくる時間が

ほぼ同じころ💦

帰宅するとまだ帰ってきていなかったので

今日のリラックスタイムに食べようと

昨日20%オフで買った

デザート!

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ゆっくり食べることはできなかったが

食べて満足!

あー甘い物がやめられない

介護で大変でやつれたのでは?

と心配する友人も

「あれ」と思う体系になっていく

まずい💦

でも甘いものに助けられる日々なのである。