介笑スマイル!「笑顔は介護の力になる」

脳出血のため中途障害者となった夫と介護する妻の今までとこれから

こんなはずじゃなかった(;_;)でもそこから得るものもある

人生山あり谷あり

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こんなはずじゃなかった!

と思ったことは幾度となくくる

今のわたしもそんな状況

ほとんどの人が

こんなはずじゃなかったことを

体験していると思いますが

はたしてどうやってそこから脱出しているのでしょうか?

そんなこと今まで考えたことありませんでしたが

人生後半においての大きな

こんなはずじゃなかった状況の今。

なんとなく今までの自分を振り返ってみました。

 

  1. 優等生のはずが・・・
  2. いい妻のつもりが・・・
  3. ふたりで楽しい老後のつもりが・・・
  4. まとめ

 

1、優等生のはずが

小学校のころは成績もまあまあで、児童会やったり、

何かの代表になることもしばしばあり、どちらかといえば

優等生タイプでした。

中学に入り、特に何があったわけではないが成績が伸びず

高校受験は安全圏のレベル低めの学校を受験。

「えーあそこの学校いくの、頭いいのに」

なんて私の成績よく知らない人には言われたりして

落ち込んだ時もありました。

でも高校生活は3年間みっちりテニス部で部活に打ち込み

辛い練習も仲間と乗り越えることができました。

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短大でも進学しようかと考えていいましたが、

父親に目的もなく進学するな

と言われ「じゃお金ほしいから就職しよう」

と安易な考えで就職することに

当時はバブルが始まるころで

レベルは高くないが、歴史のある高校だったの

今では大卒でもなかなか入れないような企業の求人がいっぱいありました。

高校での成績はそこそこだったので

超有名な某会社に無事就職。

バブルのころは忙しかったけど、

良い上司や同僚にも恵まれて、仕事に

旅行にテニスにスキーに飲み会に

今思えば青春を満喫していました。

考えてみればあの高校に行っていなければ

この会社に就職することはできなかったんだと思います。

会社を辞めて30年、今でも当時の先輩、同僚、上司には

お世話になっています。

 

2、いい妻のはずが

20代後半に5歳下の職場の後輩と結婚。

今じゃ珍しくないけど、当時の5歳下は

まだあまりいなかったかも。

ずっと年上が好きだったのに人生と

はわからない。

ときおり喧嘩もしたけれど

二人の娘にも恵まれて幸せだった。

結婚して数年

バブル崩壊、会社の組織変更で

当時の旦那は事務職から営業職へ

そして、彼の地元に転勤。

そこから何かが変わった。

家のこと、子育て、いい妻のつもりだった

でも慣れない仕事でストレスのたまった元旦那からは

きついことを言われ、向こうの親からも

年上の私が悪いみたいなことを言われるようになった。

夫婦間はうまくいかなくなり

何度も修復しようとしたが無理だった。

当時の旦那は自分から動くことはなく、

私が我慢していればいいのか?と思ったことも

あったが、そのころはバツイチも珍しくなくなってきたので

実家の母が我慢しないで帰ってこれば

と言ってくれ、子供たちのためにも再スタートをきることにした。

経済的には楽ではなかったが、

実家の援助もあり

ごく普通の生活ができた。

子供がやりたいといったダンス教室探しで

良い仲間とも出会い、親子3人踊ったり

イベントに参加したりと多くの貴重な

経験をした。

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あのまま転勤先で我慢した生活を

送っていたらこんな出会いや経験はなかった。

 

3、ふたりで楽しい老後のつもりが・・・

子供たちも成長し、3人揃って出かけることも

少なくなったころ、休日は自由きままに

過ごすようになりました。

そのころ友人の紹介で今の主人に

出会いました。

根っからの酒好きでありましたが、

前妻を10年以上前に亡くして

片親で子供を育ててきたという共通点から

意気投合し、毎週のように二人で飲みながら

長い間いろいろな話しをしていました。

お互いに子供もいるし、無理に再婚

しなくてもいいのかな?と思いましたが

お互いに根は寂しがりや

歳をとって、横に誰かがいるという生活を

送りたかった思い?から再婚

正直、子供たちが大賛成というわけで

はなかったが、

主人の両親がとても喜んでくれたのは

前の結婚で相手の親にいろいろ言われてきたわたしにとってとてもうれしいことでした。

もう若くないこともあるかもしれませんが

主人の実家にいくことも全然苦にならず

そろそろ親の面倒みるために

実家にはいろうか?

と話しをしていた矢先に

主人が脳出血で緊急搬送。

命に別状ないものの、右麻痺、失語症の

後遺症となり、

親の面倒をみるどころではなくなりました。

 

中には

「再婚したばかりでいきなり介護の心配なんて

 離婚してもいいんじゃない?」

と言われたこともありました。

でも私がいなくなったら

まだ50代の若さで老人ホームに入ることに

なるかもしれない。

そんな主人をほおっておくことは

わたしにはできません。

でも現実は想像以上にイライラすることばかり。

自分でイメージしていた優しい妻は

鬼嫁?のようになってしまったと

自己嫌悪の日々が・・・

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それでもふと考えてみると

主人が今のような状況になって

介護の勉強しよう

と初任者研修に行き、資格をとり

一緒に学ぶ中高年?

との楽しい時間も過ごせた。

昔、挫折した福祉住環境コーディネーターの資格もとれた

土曜日には誰にも気兼ねせず

自分の好きなことをできるようになった。

世の中には自分より大変な人は

山のようにいる。

私の場合のこんなはずじゃなかったこと

は紐解いてみれば、その始まりは

自分で決めていたことてはないか?

どちらかというと真面目で優等生気質?

だった私は

真面目にやってれば大丈夫?

なんて変な思いをもっていたのかもしれない。

人生の大きな選択時に戻ることはできない。

前に進んでいかなければいけない。

だから

こんなはずじゃなかった!

と思っても

それは自分で選んだことかもしれないし、

そんなことがあってもプラスな出来事や

得られることもあるかもしれない。

 

日々のイライラはまだなかなか消えない

と思うが、

だからこそ、良いリラックス方を探したり

する楽しさもあるのかも。

そんな事を感じながら

これからの日々を過ごせるように

進んでいきたい。